木材について(年輪幅,強度,使いやすさなど)

千年かかって育った木は千年持つと言うけれど

“千年かかって育った木は千年持つ”とは、故西岡棟梁の有名な言葉で私も好きな言葉のひとつである。しかし、ちまたではこの言葉がいいように解釈されて使われている気がしてならない。私たちは樹齢100年以上のナラを使って100年以上持つ家具を作っています、とか、寺社建築のために貴重な台湾ひのきを買い集めたり、マンションはRCで50年以上持つが、木造住宅は30年しか持ちませんという建築家。 結論からいえば、木の樹齢以上に木材を長持ちさせることは容易である。百年持つ家や家具を作る為にわざわざ樹齢百年以上の木ばかり揃える必要はない。手に入る材料を上手に使い、直射日光を避け、雨にあてず、風通しのよい状態を保ち、必要に応じて補修するだけで充分である。百年持たせるために必要なのは作り手の力量以上に使い手の愛情である。

古民家

古民家はその代表例である。信仰や権力の象徴となった寺社や城郭とは違い、その土地に育った木を大事に使っている。確かに太い材は使っているが、樹齢100年を越えるような材をそんなにはつかっていない。300年ぐらいの木でしか作れないのは、1枚ものの板戸ぐらいだろう。屋根裏に使われる竹だって生育はたかが3,4年だが、燻されることで100年強度を保つ。
自分にとって木は、人間よりはるかに長生きをする命であり、神様とまではいかないが、少なくとも自分より上の存在のような気がする。だから、高樹齢の大径木は恐れ多くて、積極的に使う気にはならない。しかし木工を仕事にしているぐらいだから、銘木は好きである。高樹齢の木には魅力がある。若木にはない独特の芳香や存在感、すばらしい杢。直径90センチ以上もある丸太を買って思うように製材し、一枚板のテーブルをドーンと作りたいとも思う。けど、そんな丸太は買ったことがない。高くて買えないというのもあるが、あまり欲しくない。逆に、存在感や大きさ、杢目が強すぎて作品に自分の個性が出しにくいというのもありますが。
お客さんに「いい木使ってますねえ」より「いい仕事してますねえ」と言われるほうが私はうれしい。まとまりませんが、私のところには高価な木材はあまりありませんが、自分に何かしらの縁のある木が集まってきます。それらを眺めつつ、乾燥のタイミングやお客さん、アイデアを絞りつつ形にしていきます。

 縁のあった木材

特に求めて特定の木材を揃えることはあまりない。なんとなく気に入って買ってみたり、あまりに安いのでまとめ買いしたり、仕事の必要に迫られて外材をバンドル買いしたり、解体材は解体を手伝っていただいてくるし、植木屋から薪用にと小径木を山ほど頂いたりもする。大して買ってもいないのに庭は桟積みの山や丸太で埋まってゆく。どうしたものか。

ブナ

幼稚園用の子供椅子を作っていてその用材として仕入れていた。何年か前は人乾材で1立方M12万円弱で買えていたが今はどれぐらいだろうか。まだ新潟の山が3000立方切れるなんて材木屋が以前言っていた。白神山地のような世界遺産と、それ以外の伐採できるぶなの森の違いはなんなのだろう。ちょっと前に福島県の南部の違法伐採が新聞に載った。いずれにしろ国産の流通量は減っていくだろう。ブナはかつて家具用材としては低級の部類であったが人工乾燥や塗装の進歩で中級の扱いになった。家具メーカーで大量に使われる今や唯一の国産材かもしれない。このあたりの市場でもたまにでるが、東北のブナがやはりきれいだ。
残念ながら国内のブナの流通も極端に減少してきました。ブナを主に使っていた仲間も数年前からヨーロッパのブナに切り替えています。もうまとまった数量は出ないでしょうね。

ナラ

ナラ材は国産材から 北米のホワイトオーク、そして今は中国、ロシア産のものにシフトしている。今、手元にあるのは中国のナラだ。中国のナラの値段は道材の半値以下だ。ホワイトオークと違い日本のナラに性質がよく似ている。外材のいいところは耳のない板材として使えるので、取り扱いも楽だし材積まるまる利用できる損のなさ。広葉樹は今後値下がりする要素はない。植林もあまりされないので減る一方だし植林しても使えるようになるまで百年以上かかる。財力があれば倉庫でも借りて山ほど広葉樹を桟積みしておくのだが。貯金金利は限りなくゼロに近いし株はリスクが高い。その点広葉樹は間違いなく値上がりし続けると思われる。群馬の沼田あたりに木工屋でもないのにケヤキばっかり買っているひとがいるらしい。財テクかな。
いまやナラ材も8年程前の倍の価格です。北京オリンピックや中国の不動産バブルの影響もあるのでしょう。


民家にもよく使われている材のひとつ。耐久性があり腐りにくい事から土台、大引きなどの地面に近いところに使われる。太いものは大黒や梁などにも使われる。近所に構造材すべて栗の蔵もあった。昔は本当に栗の木がいっぱいあったんだと思う。今でも栗林は見かけるが、実を採るために植えた木でみんな接木してあり、根っこと幹は別物だ。春先に大きな葉を出し、秋に実を採った後も一ヶ月ぐらいは青々と葉をつけている。この生命力があるから、毎年実をつけらるわけだ。

バイオリンの木

半年に一度ぐらいやってくるバイオリン作家のTさん。バイオリンの用材を帯のこで半割りして手押しで2面しあげて下ごしらえをしてあげている。5セット分ぐらい1時間ほどで出来るので手間賃はびびたるものだが、バイオリンとして仕上がればウン十万円。もうちょっと手間賃が欲しいなあ。
バイオリンの木楽器のサイズに合わせた三角形の断面の材で流通しているらしい。
カエデのさざなみ杢全体が見事なさざ波のような木目のかえで彼は用材を現地で買いつけてくるそうだ。ボスニアのカエデ、アルプス南面のスプルース。


流木

流木アートやオブジェというのは苦手だ。役にたたない造形物をすべてオブジェと呼んで片付けてしまうのも。逆にいうと、自分はあまり実用性がない作品にも、穴を開けて花いれにしたりとか、使えるという用途を持たせて逃げているだけなのかもしれないが。
それはさておき、流木をもらう機会が何度かあった。工房の近くには下久保ダムがある。利根川の支流の神流川を堰きとめた大きなダムだ。流木の量も半端ではない。昨年あたりまでは引き揚げた流木を片っ端から焼却処分していた。しかしこれも法改正でできなくなり、近くの土場に山積みにしていた。この流木の無料配布が新聞に掲載された。当日、現地へ行ってみるとものすごい車の列。ユニック、軽トラ、バン、4駆、いかにもって感じの車が50台以上。一度に土場に入れるのは10台程なのと、入ったら一生懸命目当ての流木を探すので、延々と何時間も山道渋滞が続いた。樹種的には、杉、桧、松などが多いが、クルミ、桜、シオジ、アカシア、栗など広葉樹も混じっている。
流木配布、群馬ではたまに新聞に掲載を見かけるようになった。草木ダムがもっとも盛んだ。

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