1978年頃
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私は、群馬と埼玉の県境で育ちました。ホームセンターに行き始めたのは、中学2年生(1978年)の頃です。それまでは、バルサ材は模型店で、工具(万力、手回しドリル)は、百貨店の金物コーナーを物色していました。
群馬県伊勢崎市にドイトがオープンしました。現在のホームセンターと、ほぼ同じような品揃えの店舗だったことと、他では見たことのない物がいっぱいあって、楽しかったのを覚えています。
片道9キロ程、自転車で出かけました。そこではじめて電動工具を買いました。BLACK&DECKERの電動ドリルのなぜか中古品。2000円だったのを覚えています。ねずみ色のような、金属製でした。
それまで、手回しドリルで、アルミ板に穴を開けていたので、楽チンになりました。この頃は、半田ごて少年でした。
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| 1981年頃 |
高校生になって、バイクをイジクルようになると、ホームセンターで見るものが変わります。
プラグ、オイル、レンチなど車、バイク用品コーナーを物色してました。
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| 1984年頃 |
大学生になって千葉県に住むと、ケーヨーホームセンターに通いました。
立看板を作るのには近くの材木店で、合板と角材を買いましたが、米ツガ材の角材は、雨ざらしではすぐに傷んで腐ります。この時から、米ツガ材への不信が始まりました。
木造住宅の土台に使われる米ツガの、薬剤注入材。好きになれません。
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| 1987年頃 |
さて、就職すると1年間、新潟県に飛ばされ、コメリを知ります。
新潟のコメリは、本拠地ですから、大きな店舗があります。
本社に戻り都心に住むと、東急ハンズに行くことになります。買ったのはステーショナリーぐらいかな。
たまには、木を眺めに新木場へ行き、もくもくも覗きました。
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| 1991年頃 |
その後、縁あって群馬にしばらく住みました。
群馬県と埼玉県北部では、ホームセンターからスタートしたセキチューと、いせやというスーパーマーケットが、はじめたカインズホームが、多店舗展開していました。各市に1店舗ぐらいの感じです。
ドイトは、高崎に新店舗を出し、しばらく、この中規模店舗が共存している状態が何年か続きました。
コメリは、農家のコンビニに徹し、市街地から離れた場所に、小規模店舗を構えていました。
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| 1995年頃 |
バランスが崩れたのは、伊勢崎にカインズホームの大規模店舗が出来てからです。ホームセンターだけでなく、電気、スーパー、映画館などが集まった平屋型のスーパーモールでした。ホームセンターに大きな倉庫の資材館がくっついたのも、県内でははじめてでした。
このスーパーモールは周囲のホームセンターを追い込んでいきました。ドイトやセキチューも可能な限り倉庫型の資材館を増築しました。しかし、ベースが中規模店舗では限界があります。セキチューの中規模店舗が何店か閉店し、ドイト高崎店も閉店しました。
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| 2000年頃 |
極めつけは、新田町のジョイフルホンダのオープンでした。
この大きさの前では、伊勢崎のカインズホームも小さくみえます。
中学から通っていたドイト伊勢崎店も力尽き、近くにドイトはなくなりました。 |
2003年〜
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ホームセンターの淘汰も一段落すると、カインズもセキチューも、郊外型大型店舗に力を入れ始めました。
新しいバイパスができると、旧店舗を閉めて、そちらに移転するというやり方です。
カインズホームの強みは、ベイシアというスーパーもやっていること。
最近の郊外型大型店舗では、スーパーと一体化したホームセンターになっていて、店内には境界がなく、肉や野菜と充電ドライバーを買い物かごに入れて、同じレジで会計できる!
というちょっと慣れるまで不思議な体験もできます。
そして埼玉県中央部や他県への大型店舗進出も進めています。
埼玉県では、大型店舗化したスーパービバホームとカインズホームの陣取り合戦がはじまっている感じです。
セキチューも大型化や、他のスーパーや専門店とモールを作ったりしています。リホーム事業にも力を入れているようです。
最近では、太田市に出来たイオングループの巨大モールに出店しています。 |
| これから |
ホームセンターの大型化は、さらに進むかもしれませんが、すでに品揃え的には充分。といって、専門的なものを揃えすぎても在庫が増えて回転があがらないでしょう。
どこが生き残るのかな。案外、コメリかもしれません。
コメリの経営は、フランチャイズ的なものらしいので、各店長=経営者で必死です。
でもまあ、ホームセンターそのものががなくなることはないでしょう。
しばらくは、大型化、と小さくても専門店化がキーワードかな。
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